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「越境する海のNomad」

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日系マグロ漁師の像(2016年、ターミナルアイランド)

キーワード:冷戦、遠洋漁業、越境性、核実験、缶詰産業
 

問題の設定

 首都圏から見れば「僻地」である四国の太平洋岸は、オーストラリアの真珠養殖やアメリカ移民、そしてマグロ遠洋漁業と、常に外洋へ人を送り出してきた。本研究では、遠洋漁業最盛期の1950~60年代、マグロ遠洋漁業者を通して人と技術のグローバルなネットワークがどのように築かれ、外国への技術の伝播がいかに行われたのかを明らかにする。愛媛・高知・神奈川などで元マグロ魚船員や関係者への聞き取り調査を行い、遠洋漁業のグローバルな産業構造を解明するともに、愛媛・高知出身の漁業者が、台湾・韓国・アルゼンチン・キューバにまで及ぶ人の交流と技術の伝播に関与した経緯も解き明かす。本研究はまた、冷戦による東西対立と水爆実験とが、こうした活動にどのような影を投じていたかを、日米の公文書を用いて実証的に解明することで、技術の伝播と国際政治との関係を浮き彫りにする。
 

研究報告2018

気仙沼市における聞き取り調査

土屋由香

9月1日夜、気仙沼市到着。

9月2日
語り部の鈴木さん.JPG
船の説明をする鈴木さん.JPG
午前・・・元マグロ遠洋漁船の機関長で、気仙沼観光コンベンションセンター所属の津波災害「語り部」も務められている鈴木春男さん(昭和14年生まれ)に、町を案内していただきながら聞き取りを行った。ちょうど大安吉日に当たったため、2隻のマグロ漁船が出港するところに遭遇し(一隻はハワイ沖へ1カ月ぐらい、もう一隻はペルー沖へ2年ぐらい)、見送りをしながらお話を聞き、延縄漁船の特徴やマグロ遠洋漁業の現在の状況について多くの知見を得ることができた。

午後・・・リアス・アーク美術館およびシャーク・ミュージアムにて、 気仙沼市の漁業史や津波災害との関係等について資料調査を行った。

9月3日
サメの山.JPG
捕獲地グアム(メバチマグロ).JPG
午前・・・6:30に気仙沼漁業協同組合を訪れ、斎藤徹夫組合長および熊谷宏一幹事に挨拶。熊谷幹事の案内で魚市場を見学しながら、気仙沼の漁業史についてお話をうかがった。
その後、元マグロ船漁労長の小山重雄さん(昭和9年生まれ)および小山忠司さん(昭和17年生まれ)に、漁協の研修室にて聞き取り調査を行った。斎藤組合長も関心を持たれ、途中まで同席された。

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東京海洋大サテライト小松さんと.jpg
午後・・・午前中のインタビュー対象者の一人である小山忠司さんは、 東京海洋大学の気仙沼サテライトの嘱託職員として漁業教育にも携わっておられる関係で、同サテライトのオフィスを表敬訪問した。小山さんと、同オフィス職員の小松朋子さんの二人が、マグロ遠洋漁業関係の資料を探してくださり、水産振興協会の事務所にいくつか資料があることが分かったため、同協会を訪問して資料の写真撮影をさせていただいた。

夜・・・愛媛大学法文学部グローバル・スタディーズ・コース卒業生の 髙橋佳祐さん(臼杵市役所職員で、昨年度から気仙沼市役所に復興支援要員として出向中)と会食し、一連の調査について報告した。
聞き取り調査の段取りや、漁業協同組合への連絡など、すべて彼が事前に段取りを整えてくれた。ただ、ちょうど出張中で3日の夜に気仙沼に戻ったため、このとき初めて合流した。

●一連の調査を通して、気仙沼漁港は高知県のマグロ漁船と伝統的につながりを持ってきたこと、また愛媛県のマグロ漁船員と同じように神奈川県の三崎漁港から出航することも多かったことがわかり、リサーチユニットの研究上重要な課題である、愛媛と他県のマグロ遠洋漁業者の比較に大いに役立つ知見を得た。

●また気仙沼のマグロ遠洋漁業は、船主・船頭・船員・造船業・仲買人 など、マグロ漁業にかかわるすべての職種がコミュニティー内に存在しているという意味で、愛南町のような「移動労働型」ではなく室戸のような「生業型」のマグロ遠洋漁業であることが分かった。しかし、室戸がマグロ遠洋漁業にかなり特化していたのに対し、気仙沼の場合には、サメ、マカジキなど、マグロの他にも当地を代表する魚があり、魚種が非常に豊富であるという相違点が見られた。この点が、マグロの漁獲量が減り衰退した後にも、漁港全体としての衰退が見られなかった理由であると考えられる。

●津波の爪痕はまだ生々しく、沿岸部の町がいったん「消滅」してほとんど完全な「更地」になった後に、色々な建造物が急ピッチで建てられている様子が見て取れた。しかし地元の方たちの漁業に対する深い愛と誇りを感じることができた。初めて訪れた我々の調査に対しても非常に協力的に情報提供してくださったことに心から感謝する。

2017年度の目標

1.聞き取り調査の対象地域を高知県に拡大し、愛媛県との比較研究を行う。

2.聞き取り調査の対象者を遠洋漁業者の家族(特に女性)に拡大し、ジェンダー視点からの分析を行う。

3.京都大学の研究者とのコラボレーションの可能性を追求する。

研究報告2017

台湾・東港における聞き取り調査

土屋 由香

1月30日午後~31日の午前中、高雄から車で南に40分ほど下った台湾南東岸の町、東港(Dong Gang)でフィールド調査を行いました。別のプロジェクト関連での訪問でしたが、リサーチ・ユニットの研究に資する知見が得られたので、ここに紹介します。

東港は漁業、とくにマグロ漁で有名な町です。別のプロジェクトでリサーチ・アシスタントを務めてくださった台湾大学の大学院生、郭婷玉さんの故郷が東港であったことから、漁業関係の仕事に就いておられた叔父様と、その知人の方たちにお話を聞くことができました。これまで愛媛・高知のマグロ遠洋漁業者の方たちから、台湾のマグロ漁船との交流や、台湾での漁業指導の話を伺っていたため、それらの証言を「台湾側から」検証する試みです。

まず89歳の洪権さんは、日本の植民地時代から漁業に従事しておられた方です。流暢な日本語で、太平洋戦争中は海に潜って魚を取っていると砲撃の音が水の中を伝わって聞こえてきたこと、戦後は現金収入を得るためにマグロ船に乗ったこと、日本語能力を生かして冷凍マグロを日本へ輸出する会社に勤めたこと…などを語ってくださいました。また1950~60年代初頭のアメリカによる水爆実験に関しては、台湾でも一時「原子魚」と言われ、毒があると騒がれたものの、漁師の家族たちが「食魚大会」を開いて道端でマグロ、カジキ、シイラなどを調理して通行人に食べてもらい安全性をアピールした結果、「原子魚はもう無い」とニュースに出て、また値段が戻ったという貴重な証言を得ました。

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(写真1)

次に郭さんの叔父様の郭枝樹さん夫妻にインタビューを行いました。マグロ船に乗った後、マグロの仲買の仕事で成功し、以後30年近く仲買人をされていました。ご夫妻は東港の漁業界を熟知しておられるため、貴重な情報を得ることができました。例えば東港沖のサンゴ礁の島である「小琉球」出身者が漁業で成功してマグロ船主になったケースが多いことや、フィリピン沖では愛知・高知などの船が一緒にマグロ漁をしていて、台湾バナナとマグロの餌用のサンマとを物々交換したこと、冷凍技術が無い時代はマグロが捕れるとすぐに港に帰り、冷凍して日本に空輸したこと、仲買人時代は、シイラの切り身をアメリカへ、本マグロは日本と台湾国内へ、そしてトンボマグロ(ビンチョウマグロ)は、タイのツナ缶工場に送っていたことなどを話してくださいました。

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(写真2)

続いて東港の漁業組合長である林漢丑さんにお話を伺うことができました。1960年代に日本から延縄漁業が入ってきて、日本人の漁業者が東港まで技術を教えに来たり、台湾人漁業者が日本に漁業留学したりしていたという貴重な証言を得ることができました。ただ、その時代のことを知っている人は、「今、沖へ出ている漁師が一人いる」ということで、次回の訪問に望みをつなぐことになりました。

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(写真3)

台湾語の通訳を介しての聞き取りには隔靴掻痒の感もありましたが、院生の郭さんの日本語能力が高いお蔭で、かなりの情報量を聞き取ることができました。感謝します。

港に隣接した巨大な市場も見学しました。マグロの刺身を売っている店のほかに、「内臓だけ」「目玉だけ」を専門に扱う店もあります。

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(写真4)

また港ではビンチョウマグロやカジキマグロの競り市が行われていて、「今はオフシーズン」(本マグロ漁は5~7月)と言われる割には、多くの人でにぎわっていました。

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(写真5)

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(写真6)

地元で捕れた海鮮や野菜・果物はどれも美味しく、東港の人たちが誇りにしているのがよく分かります。

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(写真7)

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(写真8)

調査に協力してくださった方々に心より感謝申し上げます。(写真9は祭り用の「船」、写真10は町の道教寺院)

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(写真9)

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(写真10)

高知県・室戸市の マグロ遠洋漁業 調査報告(2017.8.1~2)

launch【ウェブ用】RU研究会報告2017.8.7.pdf

表示されない場合は、こちらをご参照ください。

 

2016年度の目標

1.これまでの聞き取り調査(10数件)のテープ起こし原稿を「資料集」として印刷物にまとめる。

2.国内の査読付き学術誌に論文を1本投稿する。

3.国際学会にプロポーザルを提出する。

 

2016年度の実績

1.これまでの聞き取り調査のテープ起こし原稿を「資料集」として印刷物にまとめて刊行した。

2.国内の査読付き学術誌に論文を1本発表した。(土屋由香「マグロ遠洋漁業とツナ缶 産業をめぐる日米関係史―1950~60年代の貿易摩擦,水爆実験,そして戦前期からの連続性」 『中・四国アメリカ研究』第8号、2017年3月、pp. 111-131)

3.国内学会で上記論文の内容を発表した。(土屋由香「ツナ缶をめぐる冷戦期の日米関係― 愛媛県の遠洋漁業者の経験に焦点を当てて―」(中四国法政学会、2016年11月5日、香川大学)

4.国際学会(International Sociological Association)にプロポーザルを提出した。

 

研究報告2016

三崎漁港での調査

 神奈川県三浦市の三崎漁港は、日本一のマグロ水揚げ基地として栄えてきた。ここでの調査が必要だと考えるに至った理由は、これまで行ってきた愛媛県・高知県における聞き取り調査の中で、元マグロ遠洋漁業者が三崎漁港にしばしば言及したからである。例えば三崎を拠点に出航・帰港し、三崎の船員寮で休養し、家族を呼び寄せて一定期間定住した等の経験を、なつかしそうに語ってくださった方が居た。マグロ遠洋漁業に従事していた末端の船員と、船主会社、船員組合、漁協などの相互関係を把握するためには、三崎漁港での調査が是非必要であった。そこで三浦市観光協会に連絡を取ったところ、元マグロ船の船長を紹介してくださった。

(写真1)元船長への聞き取り
1. 元船長への聞き取り.jpg
(写真2)マグロ船の出航
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(写真3)マグロの水揚げ
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卸売市場を見学しながら元船長への聞き取りを行ったほか(写真1)、マグロ船主組合や船主会社での聞き取り、マグロ漁船の出航(写真2)、水揚げ(写真3)、競り市(写真4)の見学、さらに三浦市立図書館の「海洋文庫」で、関連資料を収集した。船主組合では、1950年代の漁船名簿などの貴重な資料も閲覧させていただいた(写真5)。一連の調査を通して、これまで不透明であった漁業者・船主・漁労長・組合などの相互関係が明らかになった。

(写真4)マグロのせり市
4. マグロのせり市.jpg
(写真5)1954年の漁船名簿
5. 1954年の漁船名簿.jpg

 

サンペドロでの調査

 ロサンゼルス空港から車で30分ほど南のSan Pedroは、かつてマグロ漁とツナ缶工場で栄えた町である。19世紀末から、主として和歌山県出身の日系移民が定住し、その一部は対岸のターミナル・アイランドでマグロ漁を始めた。1914年には、150人の日系移民が50隻のマグロ船で操業していたという。(Naomi Hirahara and Geraldine Knatz, Terminal Island: Lost Communities of Los Angeles Harbor, Angel City Press, 2015, pp. 150-151.)日系人のマグロ漁業技術の高さに着目したVan Camp社などのツナ缶産業がターミナル・アイランドに缶詰工場を建てて富を築いたが、第二次世界大戦中の日系人強制収容により、日系人コミュニティは壊滅した。ターミナル・アイランドのツナ缶産業は戦後もしばらくは繁栄したが、日本本国のマグロ遠洋漁業の隆盛と、乱獲による漁獲量減少によって、1960年代以降急速に衰退した。

(写真1)ツナ・ストリート
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(写真2)スチーム工場跡
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(写真3)日系マグロ漁師の像
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 現在のターミナル・アイランドは倉庫や廃屋が立ち並ぶ荒涼とした風景であるが、キャネリー・ストリート(缶詰工場通り)、ツナ・ストリート(マグロ通り)等の道路標識がかつての面影を残し(写真1)、缶詰工場やスチーム工場の建物も残されている(写真2)。日本人街があった辺りには、日系人漁師のブロンズ像がひっそりと建っている(写真3)。

 今回の調査では、ターミナル・アイランドを見学するとともに、関係資料を、サン・ペドロ・ベイ歴史協会で収集した。同協会はサン・ペドロ町役場の建物の6階にある(写真4)。サン・ペドロは1909年にロサンゼルス市に編入されたが、地元住人は今もサンペドロ人(San Pedran)としての強いアイデンティティを保持している。独自の公文書館を運営していることも、そうした気質の現れのようだ。資料が整備されているとは言い難いが、ボランティア・スタッフの手によって昔の新聞やマグロ漁関係の本や資料が管理されており、リサーチ・ユニットの研究を進める上で貴重な資料を収集することができた。

 

米国立公文書館での調査

 カリフォルニア州サンペドロでの調査終了後、ワシントンDCに移動し、近郊のメリーランド州カレッジパークにある国立公文書館でアメリカ内務省の資料を調査した。内務省Fish & Wildlife Serviceの資料群の中に、日米「マグロ戦争」に関するかなり大量の文書があることが分かった。

(写真1)日米マグロ漁獲量比較
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 1950年代後半〜60年代にかけて、日本のマグロ延縄漁が全盛期を迎えると、アメリカのマグロ漁業は窮地に立たされた。公文書館の資料の中には日米のマグロ漁獲量を比較する資料が多く残されている(写真1)。戦前、ターミナルアイランドでマグロ漁をしていた日系人は、強制収容所から解放されても全員は戻って来なかった。船は戦争中に転売されたり放置され使い物にならなくなっていたりしたし、日本人街は見る影もなくなっていた。かわって白人やヒスパニック系の漁業者たちが、ターミナル・アイランドを拠点にマグロ漁に従事するようになった。しかし、大手ツナ缶会社は、アメリカでツナ缶の消費量が拡大するにつれ、日本から安いマグロを輸入するようになった。サンペドロでは、ツナ缶会社と日本のマグロ漁業に対する激しい抗議運動が起こり、アメリカ政府はマグロ漁業者に補助金を出さざるを得ない情況になった。

(写真2)アメリカ政府とマグロ業界の合同会議の要旨
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(写真3)日本漁業についての調査レポート
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  アメリカ政府とマグロ業界は、官民合同の調査や会議を行い、日本に勝つための方策を模索した(写真2)。「マグロ戦争」(Tuna War)とも呼ばれる漁獲高競争の中、日本の漁業は徹底的に調査された(写真3)。日本の延縄漁業に対抗するために開発されたのが、アメリカの巻き網漁業であった。1962年の官民合同会議の記録では、「日本と競争可能な効率性を確保するために、革命的な新しい漁法が導入された」として巻き網漁が紹介され、さらなる改良が検討されている。(写真4)。こうした乱獲競争の果てに、マグロ漁獲量は急速に減少して行ったのである。

(写真4)巻き網漁の導入と改良について
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 これら内務省資料の中では、水爆実験によるマグロの被ばく問題に一切言及されていないことも特徴である。アメリカ政府の他の部局(国務省や原子力委員会)の資料群には、ツナ缶会社が日本から輸入した冷凍マグロの放射能値を測定したことや、政府がそうした数値をモニターしていたことをうかがわせる記述が見られる。被ばくマグロの問題は、アメリカのマグロ業界が気に懸けながらも、けっして公には語らないテーマであったのかも知れない。これらの点については、さらなる調査研究が必要である。

 

リンク

愛媛大学

愛媛大学法文学部